子どもはおやすみ

子育てを通じて感じたことと絵本の紹介

親と子どものコミュニティ(保育園編)

今週は子どもの通う保育園で夏祭りイベントがあった。盆踊りをしつつ、お買い物コーナーとかゲームコーナーで遊ぶ、みたいな企画だ。子どもは楽しんでいたようで、私も嬉しくなった。

 

さて、こうしたイベントには親(多くはママだがパパもチラホラ)も参加する。ウチの子の年代くらいだと、親がいるとそれにべったりで子ども同士のからみが見られなくなるのは残念だ。ということで、だいたい各家族ごとに行動する。ただ(親と子どちらがそうなのかはわからないが)社交的な親子とかももちろんいて、そういうところは親同士・子同士で色々と喋っていたりする。

 

保育園にも父母会の役員みたいなものがあって、それに入っているとあるいは話すこともあるのかもしれない。だが保育園は仕事中に親が子どもを預ける場所ということだけあって、親同士ではそれほど付き合う機会はなかったりする。それに対して幼稚園だと色々あるように見える。ということで、私なんかは物怖じしやすい性格もあって、なかなか他の家族とお話しできない。ネタが思いつかないのだ。英会話教室でスモールトーク術とか習ったことがあるが(とりあえず天気、みたいな)、日本語でもあるいはそうしたテクニックというのがあるのだろうか。いま落ち着いたところで思いつくネタとしては、うちの子どもがなかなかオムツがとれないことを、他のうまくいっていそうなお子さんの親御さんに振ってみるとかですかね。まあ結局この夏祭りでは、私はそんなオムツをつけた我が子どもに相手をしてもらうのみで、先生と一言二言お話しができたくらいでしたが。

 

親同士の付き合いがあろうがなかろうが私としては大きな問題はないわけだが、それが子どものコミュニティ形成に良くも悪くも影響を与えることはあるかなあとも思う。自分自身の子ども時代を振り返ると、私の母は専業主婦だったこともあるだろうが、幼稚園時代からママ友付き合いをうまくこなしていたように思う(そして割と楽しんでいた風に見える)。子どもは特に小さい頃はそうしたものを介して群れ合うということが多々あったと思うので、親付き合いにはある程度の影響力はあった気がする。一方で、小学校にあがると、友達付き合いは親の関係とは独立であったように今振り返ると思われる。席順、通学路の方向や、運動の得意・不得意などなどみたいなところで何層かのグループ分けがされていく感じだろう。私は高校を卒業するに至るまで、幸い(と言うと語弊はあるが)疎外感を感じるような境遇に置かれてこなかったが、あるいは私の母の社交性がそのスタートダッシュのようなものにつながったようなところはあるのかもしれない。

 

そもそも子どものコミュニティを親が気にすること自体を控えるべきというところもあるだろう。そうは言っても、特に保育園は親の都合で行かせているという側面もあり、楽しい思いをさせたいと思うのが親心でもある。まあ気張らない範囲でうまくこなすのが好ましい。コミュニケーションの円滑さは局面局面でありがたいものでもある。ただ私はパパであってママではなく、やはり他のママと仲良くするというのはなかなかハードルが高い。何というかセッティングされれば話せても、自分からナンパするなんてできないよ、という昔の感じと同じ感覚だろうか。かといってパパ同士となるとどういうわけかより一層気恥ずかしくなったりする。この辺りについてはもう少し経験をつんで、何かコツをつかめたり、要不要についても何か感じることが出てきたら、ぼちぼちブログのネタにしていければと思う。