子どもはおやすみ

子育てを通じて感じたことと絵本の紹介

今週の絵本

我が家にはテレビがないこともあって、絵本は重要な子どもの娯楽の一つとなっている。絵本はそこそこ値段がすることもあって図書館で借りることがもっぱらだが、その中で気に入ったものがあればたまに購入したりする。その他ジジババなどからの贈り物としてもらったりする。

絵本に当たり外れはあると思う。我が家は一週間あたりだいたい10から20冊くらい読むが、イケてないと思うものが2割、まあ普通に楽しめるものが6割、なかなか面白いと思えるものが2割くらいだろう。ただ、それが絶対的な評価では決してないとも一方で思う。そもそもメインターゲットである子どもの成長は大変に早いもので、それに伴って絵本の好みもどんどん変化する。たぶん、子どもごとに好みもだいぶ違うだろう。もっと言えば、子どもが面白いと思う本がどうして面白いのか大人からはわかりにくかったりして、子どもに受けていたとしてそれが本当に受けているのかさえよくわからなかったりする、なんて言ったりするとそれ自体何を言っているのかわからないわけだが、そいうことで、ある時点でのある子どもへの当たり本が、必ずしも普遍的であることはまったくない。ただ一方で、好みの似た人が他にいれば、もしかしたらこうした絵本の紹介をするこてはあるいは有益かもしれない。ということで、このブログでも、折角なので絵本を少しずつ紹介していく。だいたい毎回2冊くらいの予定。

ところで、絵本なんて物心ついたころにはもう読まなくなっていたわけだが(漫画は読んだが)、子どもができて久しぶりに絵本を読んで気づいたのはそのターゲット読者には、子の親も含まれているということだ。たとえば「もこもこもこ」を読んで感慨にふけった親は多いのではないか。で、前段との兼ね合いになるが、親の評価と子の評価(というか食いつき)は必ずしも一致しない。その辺りのすれ違いやバランスも含めてうまく論評できたら面白い絵本書評ブログになると思う。ただし、私にはそこまでの気概はなく、ここではただ何となく紹介していくだけだろう。

 

で、今日の一冊目、999ひきのきょうだいのおひっこし

999匹のきょうだいはシリーズものらしいが、我が家はこれが初めてだ。999匹はオタマジャクシからカエルに変わった兄弟たちだ。生まれた池が手狭になったということで、別の池にお引越しするというお話だ。初めてのお引越しということで、999匹にの兄弟にとっては知らない世界の冒険だ。そこで初めて出会う様々な危険などをハラハラドキドキしながら乗り越えるというのが話のメインで、「初めての冒険」ものの類型だ。本書ではその中に、家族の引越しということで、親のリーダーシップが描写されたり、兄弟の助け合いがあったりという要素があって、なかなか楽しめた。文は木村研という方で本書で初めて見た(というか認識した)方だが、絵は村上康成という売れっ子(と思われる)の方で、クセのありつつも可愛らしい絵で子どもも惹きつけられているようだった。

 

ところで、私は絵本業界のフォローをしたりしているわけではないので、売れっ子かどうかなどに関しては私の観測範囲での判断で、客観的な数字に基づくものではないことにご注意いただきたい。

 

もう一冊は、かこさとしほねはおれますくだけます (かこさとし・からだの本 8)だ。

本書は学習本のようなものだが、最近ほねや骸骨に興味を示し出したうちの子どもにヒットした。いろいろな生き物を比較しながら、体の中でほねがどうやってあるか、またそれがないとどういった不便があるのかをわかりやすく解説したものだ。面白かったのは、(恥ずかしながら知らなかったが)、ヒトの手のひらのほねの要素は成長に従って出来上がっていくという説明だ。私と子どもではほねの数が違うことをお互い知ることができて、面白がることができた。

本書も「かこさとし、からだの本」というシリーズものなので、機会があれば別のものも読んでいきたい。

 

親と子どものコミュニティ(保育園編)

今週は子どもの通う保育園で夏祭りイベントがあった。盆踊りをしつつ、お買い物コーナーとかゲームコーナーで遊ぶ、みたいな企画だ。子どもは楽しんでいたようで、私も嬉しくなった。

 

さて、こうしたイベントには親(多くはママだがパパもチラホラ)も参加する。ウチの子の年代くらいだと、親がいるとそれにべったりで子ども同士のからみが見られなくなるのは残念だ。ということで、だいたい各家族ごとに行動する。ただ(親と子どちらがそうなのかはわからないが)社交的な親子とかももちろんいて、そういうところは親同士・子同士で色々と喋っていたりする。

 

保育園にも父母会の役員みたいなものがあって、それに入っているとあるいは話すこともあるのかもしれない。だが保育園は仕事中に親が子どもを預ける場所ということだけあって、親同士ではそれほど付き合う機会はなかったりする。それに対して幼稚園だと色々あるように見える。ということで、私なんかは物怖じしやすい性格もあって、なかなか他の家族とお話しできない。ネタが思いつかないのだ。英会話教室でスモールトーク術とか習ったことがあるが(とりあえず天気、みたいな)、日本語でもあるいはそうしたテクニックというのがあるのだろうか。いま落ち着いたところで思いつくネタとしては、うちの子どもがなかなかオムツがとれないことを、他のうまくいっていそうなお子さんの親御さんに振ってみるとかですかね。まあ結局この夏祭りでは、私はそんなオムツをつけた我が子どもに相手をしてもらうのみで、先生と一言二言お話しができたくらいでしたが。

 

親同士の付き合いがあろうがなかろうが私としては大きな問題はないわけだが、それが子どものコミュニティ形成に良くも悪くも影響を与えることはあるかなあとも思う。自分自身の子ども時代を振り返ると、私の母は専業主婦だったこともあるだろうが、幼稚園時代からママ友付き合いをうまくこなしていたように思う(そして割と楽しんでいた風に見える)。子どもは特に小さい頃はそうしたものを介して群れ合うということが多々あったと思うので、親付き合いにはある程度の影響力はあった気がする。一方で、小学校にあがると、友達付き合いは親の関係とは独立であったように今振り返ると思われる。席順、通学路の方向や、運動の得意・不得意などなどみたいなところで何層かのグループ分けがされていく感じだろう。私は高校を卒業するに至るまで、幸い(と言うと語弊はあるが)疎外感を感じるような境遇に置かれてこなかったが、あるいは私の母の社交性がそのスタートダッシュのようなものにつながったようなところはあるのかもしれない。

 

そもそも子どものコミュニティを親が気にすること自体を控えるべきというところもあるだろう。そうは言っても、特に保育園は親の都合で行かせているという側面もあり、楽しい思いをさせたいと思うのが親心でもある。まあ気張らない範囲でうまくこなすのが好ましい。コミュニケーションの円滑さは局面局面でありがたいものでもある。ただ私はパパであってママではなく、やはり他のママと仲良くするというのはなかなかハードルが高い。何というかセッティングされれば話せても、自分からナンパするなんてできないよ、という昔の感じと同じ感覚だろうか。かといってパパ同士となるとどういうわけかより一層気恥ずかしくなったりする。この辺りについてはもう少し経験をつんで、何かコツをつかめたり、要不要についても何か感じることが出てきたら、ぼちぼちブログのネタにしていければと思う。

子どもの睡眠

今日は午後から子どもとでかけた。帰り道で子どもは眠りについて、そのままただいまお昼寝中。昨日、今日と続けてお昼寝をしているが、2歳半くらいからお昼寝をスキップすることが多くなった。これは外出時に眠り場所を気にする必要がなくなる反面、家ではずっと遊び相手をしなければならないことを意味する。いかに子どもに昼寝をさせ、その間の自由時間を確保するかというのは我が家の重要課題だ。

 

一般に、幼稚園では昼寝をしないらしい。反対に保育園では年長クラスでもお昼寝があるという。保育園通いをした妻に言わせれば、昼寝というものは子どもごころに無駄と感じるものだそうだ。うちの子は保育園に通っており、毎日良い子でしっかりお昼寝している(はず)。

 

子どもの睡眠時間をどのようにコントロールするかというのはなかなか難しい。ためしに「子ども 睡眠時間」でグーグルしてみる。すると各年代の理想とされる睡眠時間を検索結果ページに表示していただいた(便利すぎてスポイルされている感じです)。それによるとうちの子の年代では12時間から14時間の睡眠が理想らしい。以前には11時間くらいは確保したいと聞いたこともある。保育園で2時間半くらい寝ているとして、うちの子はギリギリ 11 時間くらいだ。

 

数字も大事だとして、親心としては、眠りたいときに眠りたいだけ眠らせたい、というのが理想だろう。実際多くの赤ちゃんはそんな感じで育つわけだ。ただ社会生活の制約があってなかなかそうもいかず、そこでどう折り合いをつけるかという問題が生まれる。

 

いかに子どもを寝かしつけるかというのが新米ママパパのホットトピックであり続けていることから、多くの子どもは基本的に長く起きて遊んでいたいものなのだろう。ただどうしても保育園やそれこそ学校が始まればそうはいかず、決まった時間までに起きられるように規則正しくしないといけない。そういうことで、少し夜更かし気味になると朝に「起きろ」と大変心苦しいセリフを言う羽目になり、そうならないように、夜は(自分が元気な時は)もっと遊び相手をしてあげたいという気持ちもありつつ、寝たふりをしたりする。ちなみに前に「おやすみロジャー」とかいう本を、流行っているみたいだということで親から送ってもらった。一度試しに読んでみたけど、なんというか、あざとい感じがして、これを読み聞かせるのには罪悪感があるというのが私の感想だ。

 

結局、子どもの睡眠時間がその成長に重要な一方で、反対に起きている間に刺激をたくさん与えることも大事なのだろうという一面もあり、そうしたジレンマがあって、なかなか親も子どもも折り合いをつけにくいというのが実態かと感じる。

 

思い返せば、私の場合、(恥ずかしいことに)高校生までは親に毎日起こしてもらっていた。その時間でないと絶対に間に合わないという時間ぴったりに。今振り返るとどれだけ甘えていたんだともちろん思うわけだが、一方で私の親としてはできるだけたくさん寝かせてあげたいという親心があったのかもなと思う次第だ。

 

なお、日曜日の今朝はゆっくり眠りたいと思っていたのに、なぜか早く起きた子どもに起こされて、午前中は気分がのらない感じで過ごしてしまったのであった。